2021年10月28日木曜日

M型F型

 


「ジェンダーと脳」と言う本を読んでみた
これによると人間の脳の性別の特徴はモザイク状で多様性に飛んでおり男脳、女脳と言うものはないらしい。
平均的に評価すると男に多いパターン、女に多いパターンはあるがある1つの脳を取り出してそれが男か女かは判定できないと言うことである。
また環境によってもこのモザイクは変化していくものらしい。
(以前「話を聞かない男、地図が読めない女」と言う本で男女の脳の違いを表していた。その傾向はあるのだろうが男より地図を読める女、女よりよく話を聞く男はいるのだ。)

思考、性格、感情を司る脳に明確な性別の差は無いと言うことになる
そして男と女を分ける身体的特徴は生殖器のみだとしている。(体型の違いもあると思うが)
であれば性別を理由に社会的グループ分けをするのはおかしいと考えることもできるだろう。
例えば地域の行事等で力仕事は男、料理は女などと役割分担されてしまうが、力仕事は体力がある人、料理は料理が好きな人として分類すべきだと思う。

下図は架空のサンプルとして作成してみた。男女それぞれ20人の脳の要素(a-z) 26項目についてその評価を赤、緑、中間を黄色として表したものである
男性maleで赤い要素が多く女性femaleで緑の要素が多いい傾向にあるが男性であって緑の要素が多い人、女性であっても赤の要素が多い人がいることを表してみた。(表右端列に○印、zの右列は各色の個数、最上行は平均個数)


この表は各セルにランダム関数で0から1までの数値を出力しmaleには1.2、femaleには0.8を係数として乗じて0.6以上は赤、0.4以下は緑、中間を黄色としてとして表示した。
脳は環境によっても変化するらしいのでこの係数を男女別社会係数と考えれば男はこうあるべき、女はこうあるべきと言う封建的な社会の場合この係数の差が大きくなり、男女平等の意識が進めば差が小さくなると考えることができるのではないだろうか?
男女社会係数が同じなれば男女の表はほぼ同じになる。

私見だが今までの社会は体格的に大きな男性が体格的に劣る女性を守ることで社会を築いていった。
そのために男は男らしく女は女らしくとあることが課せられた。
 (それが男尊女卑のような風潮に結びついてしまったのかもしてない)

成長社会においては人間を平均的な雛形(男型、女型)に分類し効率よく作業していくことが生産性を向上させることに役立った。

しかし成熟社会になり社会が安定し「男性が女性を守る」という定義が崩壊してきて平均的典型的なことより多様性と言うことが重んじられてきていると言うことなんだろう。
さらに脳に性別がないのなら社会生活において男性女性と区別する必要はなくなってくる
(国際的にも個人が申告する書類で性別が必要がないものも増えている。)
そうなると性別はある意味血液型ABOと同じように性型にMF型があると考えこともできる。(MaleFemale)
そうであればパートナーを選ぶのにほとんどの人が血液型を気にしないように、性型も気にしなくなると言うことなのだろう。
脳が選んだベストパートナーがたまたまM型またはF型と言う事であれば
同じ型同士のパートナーも当然あり得る。また性と体の不一致などという事で悩む必要はなくなる。
 
男女平等という発想すら意味がなくなる。

プリミティブな社会(動物社会含む)では子孫を残することが最も重要なことであり、カップルにとって性型は非常に重要であった。出来るだけ多くの子供を産みその生き残りが子孫となる
しかし成熟社会においては子供の生存率は格段に向上し社会が安定したため子孫を残す事を第一義としなくても多様性の中に生きるという事が可能になったと考えることもできるのではないだろうか。