2012年6月30日土曜日

自活エネルギー社会


我々は閃光の時代に生きている
幸か不幸かその真只中にいることを理解しなければいけない
それは化石エネルギー消費時代である
この化石エネルギーは地球が十億年以上かけて蓄えたエネルギーであり
今のままの消費を続ければ100-200年で枯渇するといわれている
化石エネルギー時代を19~22世紀の400年間とすれば
地球規模のタイムスケールで考えるとほんの一瞬の出来事となる
この一瞬の閃光のようなエネルギーを利用して人類は爆発的に人口を増やし、生活を劇的に変え、右肩上がりの成長という呪縛に囚われた
問題はこのようなエネルギーバブル状況からどのように安定値へ収束するかである
そのためにはまず化石エネルギー消費を低減することだ
そして化石エネルギーを取り尽くす前に代替エネルギーによる生活にシフトしていかなければならない
シフトへの時間をかせぐためには化石エネルギーの採取技術の向上も有効であろう
温暖化を考慮すれば化石エネルギー消費を最小限にしてシフトする必要がある
ここでの代替エネルギーは化石エネルギー以外のエネルギーとなるが
原子力エネルギーは技術的に未熟(廃棄物処理、事故対応不能)であり現段階では代替エネルギーではないと考えている
代替エネルギーと合わせてエコ・テクノロジーは非常に重要になる
自然環境を賢く利用した省エネ建築や省エネ機器、エコカーはもちろん
充電技術の進化はピーク発電量を抑える有効な手段となる
充電能力が十分になれば理論的には必要発電量はピーク発電量ではなく平均発電量となり
発電施設を抑制することができる
EMSEnergy Management System)等による地域エネルギー消費をコントロールシステムも有効で
スマートシティのようなエネルギーの地産地消システムを目指すべきである
人工光合成により水・CO2・日光から樹脂原料を作る技術も進んでおり化石燃料の消費抑制に繋がる
ネットテクノロジーによるノマドワーク、ミーティングシステム、ヴァーチャルツアーの進歩は
移動エネルギーの軽減に役立つとおもわれる
最も重要なのはライフスタイルの変革である。物的富裕(material rich)から精神的富裕(mental rich)へ大量消費から再利用、リサイクルへ、スクラップビルドからリノベーションへ、所有からシェアリングへといったライフスタイルを仮にエコ・スタイルとすればこれにより消費エネルギーを大幅に抑制することが可能となる
  エネルギーイメージ(1800-2300年)



エネルギー消費と経済成長がほぼ比例するとした時このグラフでは実質的なエネルギー(エコ・スタイルを考慮しない)は減少するため経済は収縮するが人口減少を考慮すれば実質的な収縮はもう少し緩やかイメージかもしれない
少子化が問題になっているのは右肩上がりの成長を前提としているためで安定値へ収束するためには人口が減ることはかえって望ましいことである
人口が減っていく過程では少子高齢化など様々なひずみが起きるが適性人口で安定すればそのような問題はほぼ解消されるはずである
経済が縮小していく社会を具体的に想像することは難しいかもしれない
失業者が増え治安が悪化する事が懸念されるが日本人の極限状態でも秩序を守るという民族性に期待したい
全体所得が減るという事は予想できる。所得が多い、少ないとはどういう意味があるのか?
私は選択肢の幅の問題だと考えている。所得が多ければ選択肢が広がる。少なければ選択肢は狭まる
しかし所得が減ってもテクノロジーの進歩は選択肢を広げてくれるはずである。
経済が縮小してもテクノロジーは後退することはない。進化のスピードが鈍るだけである
選択したものに満足感、充実感、幸福感が得られるかは別問題なのだ。
経済は収縮しても幸福感を向上させることは可能だと考えている
生活のペースを下げて、ゆとりある生活に切り換えていく、そしてグラフのように化石エネルギーに頼る社会の頂きから下山し、代替エネルギー、エコ・テクノロジー、エコ・スタイルによる自活エネルギー社会、明日の社会の頂きを目指すべきである

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私たちの時代は、すでに下山にさしかかっている。実りある下山の時代を、見事に終えてこそ新しい登山へのチャレンジもあるのだ。
 少子化は進むだろう。輸出型の経済も変わっていくだろう。強国、大国をめざす必要もなくなっていくだろう。ちゃんと下山する覚悟のなかから、新しい展望が開けるのではないか。下山にため息をつくことはないのだ。
-------------------------------------------------------五木寛之著『下山の思想』より