2014年4月21日月曜日

経済成長社会への禁じ手


多民族国家
成熟社会を迎えるのは必須であるがどうしても経済成長にこだわるのであれば多民族国家になり人口を増やしていく必要がある。
大量の移民の受入である。人口ピーク時の1億2千万人にするには移民の割合が1/3ぐらい必要となる。(国立社会保障・人口問題研究所によると2060年には 人口は3分の2程度になると予測されている)
日本人が移民受入によって絶滅してしまうとは思わないが問題は日本の生活文化が失われてしまう危惧が大きい事だと思っている。
移民受入は多様性が増えるように見えるが文化の多様性からみると非常に危険である。
希望的な見方をすれば文化も多様化しそれぞれがより個性を発揮し進化するといった考え方もあるかもしれないが生態系の世界でおきている外来種による自生種の滅亡を考えればその見方はあまりにも楽観的である。
日本文化は世界的にみても他の国の植民地にならずに独自の島国文化を築き上げてきたという点で貴重である。
私は国粋主義者ではないしグローバル化は需要であるが経済成長のための労働力確保という目的のみで大量の移民を受け入れるのは必ず大きな問題を起こすと思っている。

後日追記
誤解がないように言いたいが、これは難民の受け入れを拒否すると言う話では全くない。難民と移民は別次元の話で、難民に対して日本はもっと積極的な対応してもらいたい。

追記資料
日経新聞(2014/5/27)で高度人材200万人増を(加藤久和 明治大学教授)といった記事で移民受け入れについて書かれていた。
経済成長のために高度な人材の移民は必要であるが人口維持のための受け入れは不可能であるといった趣旨であった(以下一部抜粋)

外国人労働者の受け入れを巡る議論で重要なのは、第1に、建設業などの人手不足に起因する短期的な受け入れと、人口減少に伴う長期的な移民の受け入れは、別次元であるということである。
---略-----
高度人材の受け入れを前向きにとらえたとしても、急速に人口が減る日本で、減少分をそのまま海外からの移民で補うことは、ほぼ不可能だということである。減少分を埋めるには1000万人単位の受け入れを考える必要があるが、社会的コストがあまりに大きくなる。 

毎日新聞2025/12/24
2028年まで受入上限数123万人に制限との記事
外国人労働者受け入れを制限したいと言う世論への対応と思われる

2014年3月29日土曜日

ユニバーサル・オリンピック

パラリンピックは現状ではオリンピックの後のおまけのようでテレビ放送も少なく盛り上がりにかける。先日ある議員がパラリンピックをオリンピックの前にやった方がよいのではないかといっていた
確かに現状よりその方がよいと私も思うのだがそもそもパラリンピックとオリンピックをなぜ分けるのか疑問を感じる。
みんな一緒にオリンピックをやればいいと思う。案としては障害によりカテゴリー分けして各競技を行うのだ。健常者は誰でも参加できるオープンカテゴリーにしか参加できないようにし、義足のランナーはオープンカテゴリーでも障害カテゴリーでも自分の参加したい方にエントリーする。
現実的にはさまざまな問題があるのかもしれないが健常者も障害者も同じ開会式と閉会式に参加するユニーバーサルなオリンピックになって欲しい

2014年3月10日月曜日

OSの多様化

WindowsXPのサポートが2014年4月で終了するという事で今までXP一筋でアップグレードしてなかった人の多くは消費税増税という要因も後押しして、どうせなら最新のコンピューターが欲しい!という事で3月末までにコンピューターを買い替えようとしているらしい。
私もXP一筋の人間だったのでどうしたものかと考えていた。コンピューターを買い替えなくてもOSのアップグレードであれば1万円程度でできるのであるがこれを機会にMicrosoft一辺倒であった環境を変えてみるものおもしろいと思いOSを変更してみる事にした。
そこで目をつけたのがUNIX系OSのLINUXをベースとしたubuntuというフリーのOSである。
ubuntuのサイトからデータをダウンロードしてそこからブートCDを作成してコンピューターにインストールする。
しかしwindowsを完全に削除してしまうと都合が悪い。それは業務上windowsのソフトを一部利用する必要があったからである。そこでインストールする時XPを残したままubuntuをインストールするデュアルブートというメニューを選びインストールした。思っていたより簡単に導入できた。
そもそもXPのサポート終了はXPをネット環境で利用する事が危険になるという事でありネットを切断した環境でソフトだけを利用するのであれば問題はない。
ネット環境の作業や一般的な業務はubuntuで行い。Windowsでしか動かないソフトを利用する時だけWindowsをスタンドアローンで立ち上げて作業する。ubuntuからはWindowsのファイルは見ることができる。なれてしまうと問題はなく作業できる。最近XPがやたら重くなっていたのでそれに比べるとubuntuは快適に作業できるし、ネットを切断したXPは今までが嘘のように軽快に動いてくれる。結果的に大満足である。
ちなみにubuntuではword,excel,powerpointなどとほぼ互換性があるソフトがフリーでついている。ブラウザーはfirefoxが標準であるがchromeにもubuntu版がある。dropboxなども利用できる。またwineというWindowsソフトをubuntuで動かしてしまうというソフトがありこれを利用すればなんとほとんどのWindowsソフトが動いてしまうのである。
しかし中には動きが多少怪しくなったり、鈍くなったりするものもあるので完璧とはいえない。
(そこで私はデュアルブートにしたのである)
さらにgoogleやMicrosoftなどの提供するクラウド系ソフトも最近はかなり充実してきている。
これまではMicrosoft一辺倒でMs-Dos,Windows95,98,XPとお世話になってきたが
いつのまにか利用するOSがiOS、Andoroid、ubuntuなどと多様になった。
私の座右の名である動的平衡(多様性のバランス)で考えればOSの多様性も望ましい事だと思う。

追伸
私はubuntuのみでネット接続するので問題はないと思っているが、XPもubuntuを通して間接的にネット接続していると考えれば危険性を否定できない。という見解もあるので導入は自己責任でお願いします。

2014年2月17日月曜日

成熟社会


熟年国家の続編です。)

成長社会から成熟社会へのパラダイムシフトを向かえている
これに気づかず今までのような経済成長社会しかイメージできない人は多い。
これまでのような成長が不可能は理由は人口がすでに減少しているためである。
今後数十年は人口が減少し成長社会が終焉を向かえるのは避けようがない事実である。
では成熟社会とはどんな社会なのか?
私は「女性中心社会」だと考えている
成長期のような競争社会では男性的な行動原理がある程度有効であったが成熟社会では競争より共生が重要となり女性の行動原理に期待できる。
(河合隼雄の母性原理と父性原理によると母性が「わが子はすべてよい子」、父性は「よい子だけがわが子」といった特徴を持っているらしい。)
しかし女性の社会進出が進めば出生率が低下する可能性がある。
このまま人口減りつづければ成熟社会ではなく衰退社会となってしまう。
安定した成熟社会を築くためには安定した人口に収束していかなくてはならない
人口を超単純に考えてみる
子供が生めるのは女性だけで男性は生めない
胎児の性別はXY染色体の組み合わせで決まるので男女の出生割合はほぼ半分づつになる
男女比1:1なので女性が2人子供を生まなくては人口は維持できない。
病気、事故等で死亡してしまう事を考えれば出生率を2.0以上にする必要がある。
現在の出生率は1.4程度で、戦後のベビーブームでは出生率は4.3人以上であった
どうして出生率が下がってしまったのか
様々な要因があると思うが私は社会の家族システムの細分化、女性の高学歴化が大きな要因だと思う。
育児や介護は大家族のような廻りの目が多い方が対応しやすい。
家督制度から民主化といった大きな流れから大家族から核家族へと分化され
さらに情報社会化等により生活の多様性が進み核家族は個人へと細分化されている。
(リビング生活から個室生活へのシフト)
このような環境では女性が一人で子供を生み、育てるといった事への不安、また女性の高学歴化が出産による離職といった選択肢を避けるようになる。結婚しても子供はいなくてもよい、あるいは一人いれば十分と考える夫婦が多くても不思議でない。これでは出生率2.0以上は無理である。
しかし男は子供を生めないが育てることはできる。女が出産し、男が育てるのだ。
育メンなどといわれ育児ごっこをやるといったレベルの話ではなく専業主夫になってでも育児に真っ正面から取り組む。
現状では専業主夫というとかなりマイナーな存在であるがこれが当たり前になるくらいの社会全体の意識改革ができれば女性は出産して復職するといったことが当たり前な女性中心社会となる。
また二世帯住宅、二世帯対応集合住宅のようなお互いの独立性を維持しながら親子世代が隣接して生活するのは介護・育児等に関してはメリットが多い。夫だけでなくその父母世代で女性中心社会をサポートしていく。
出産、育児をサポートすれば人口が増加し再び成長社会へとシフトしていくのではないか?という考え方もできるが
私は過度な人口減少を食い止める程度の効果であり以前のような「産めよ増やせよ」的な状況にはならないと考えている
それは当時のような貧困、物欲が支配した社会ではないからである

成熟社会の大きな特徴は成長社会のような「所有」により生活が豊かになるといった価値観から「シェア」により豊かな生活をするといった価値観へのシフトだと思う。
最近シェアカー、シェアハウス等が話題になっているが物、空間といったハードをシェアーするだけではなく、技術、経験、労働といったソフトもシェアーする。これは老人パワーの活用も期待した細分化されてしまった個人を地域でつなぎ合わせる共助コミュニティ社会システムである。


成熟社会という言葉は40年以上前にイギリスのノーベル物理学者ガボールの著した『成熟社会』(1972)から使い始めたらしい。以下著書の要約
 -----------------------------------------
成熟社会とは、物質万能主義を排し、経済成長や大量消費社会のかわりに、高水準の物質文明と共存しつつも、精神的な豊かさや生活の質の向上を最優先させるような、平和で自由な社会
  1. 自然との闘いから人間性との闘いへ
  2. 物質的・手段的価値から精神的・表出的価値への推移(=成熟)

  • 消費社会の不毛と倦怠(けんたい)の 克服
  • 知能偏重から知能と倫理の調和
  • 善意と幸福を周囲に広げる人間の形成
  • 強制と支配ではなく自由と責任と連帯の拡充
  • 多様な個性と価値観を尊重し許 容する寛容な民主的社会の実現


生活の質の向上による社会の漸進的活性化を意図
人間にとって真の豊かさとは 何かを追求

 ---------------------------------------------日本大百科全書(ニッポニカ)の解説要約
40年以上前に近未来社会として提唱されたのだ。経済学者、社会学者ではなく物理学者というのがおもしろい。
当時は単独国家としての未来像であったがその後経済のグローバル化により他の発展途上の成長社会国家を経済的に取り込み経済成長をどうにか続けているのが現状ではないだろうか。



「参考」
ファミリーサポート事業(地域による育児のサポートシステム)

・シェアハウスで異世代同居 シニア×若者共生探る 
独立性確保と意思疎通カギ 
 新しい暮らし方として5年ほど前から脚光を浴びてきたシェアハウス。利用は若者中心というイメージが強かったが、最近はシニアと若者が一緒に住む試みも始まっている。(日経新聞 平成26年2月)

・ともに子育てシェアハウス ひとり親世帯も安心 
ご近所で一時預かり/シッター派遣 (日経新聞 平成26年2月)

・シェアハウス 間口広く 
音楽・ゴルフ仲間集う 疑似家族で安心感 
 居間などを入居者が共有するシェアハウスが多彩になってきた。ゴルフや音楽などの趣味に加えて、ひとり親だけが集まる物件も相次ぎ開設。賃料は周辺相場に比べて同程度だ。利便性だけでなく、一つ屋根の下で暮らす疑似家族のような楽しさや安心感が人気の背景にある。(日経新聞 平成26年2月)

2013年5月9日木曜日

家内工業時代 (3Dプリンター)

何百万円もしていた3Dプリンターが庶民も手が届く数十万円で購入する事ができるようになった。樹脂系の素材であればパーツを造形し組立る事で製品ができる。
これはちょっとした革命に近い出来事である。今までは大量に生産しなければ採算が合わず個人、SOHOレベルでは製品化出来なかったが、来れからはその気になれば個人ベンチャー企業でもメーカーになれるのだ。産業革命以前の家内工業が現代社会に生まれかわろうとしている
先日、3Dプリンターで拳銃を作ったというニュースが英国で報道された。この拳銃の3Dデータもダウンロード可能で3Dプリンターがあれば誰でも拳銃を制作する事が出来るらしい、しかもこの拳銃は恐ろしい事に金属探知機にも反応しない。3Dプリンターは諸刃の剣となるのであろうか?

2013年5月7日火曜日

国民は憲法を守る義務はない!(憲法とは?)


憲法は法律の上位に位置づけられている法律の王様のようなイメージがあったが最近そうではないことを知り自分の無知を嘆き、改めて考えさせられた。
現状の憲法は敗戦後アメリカに押し付けれられた憲法であると言われている
戦後マッカサーが日本政府に憲法案の作成を要求したが出てきたのが以前の憲法をベースとしてたためこれじゃダメだと思い自分で案をつくった。このマッカーサー個人案では日本は他国に武力で攻撃されても反撃してはいけない。(座して死を待つ)といった内容だったらしいがさすがにその部分はアメリカ側も削除して今の憲法の原案となったらしい。
憲法99条に
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」
と謳われている。ようするに政治に携わる人(公務員)は憲法を守りなさいということである。逆に言えば一般国民に憲法を守りなさいとはいってないのである。
では憲法ってなんだろうと考えるとこれは国に対して憲法というルールに基づいて統治しなさいという国民と国との約束なんだと思う。国は憲法に基づいて統治するために法律というルールをつくり国民にこれ守らせる義務を課した。国は憲法を守る義務を負い、国民は法律を守る義務を負うという事だと思っている。ようするに憲法と法律はまったく異なる性質のルールなのだ。
納税、勤労、子供への教育の義務を国民に課しているので憲法は国民も守る義務があるという人もいるがこれは国が統治するにあたりそれらの義務を不平等がないように課しなさいと解釈すればいいのではないだろうか。
最近96条を改正するという動きが活発である。
この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」
この条文の「総議員の三分の二以上」を半分以上の賛成に改正するというもので、要は発議しやすくしたいという事だ。私は発議が容易になるのは悪いことではないと思う。
むしろ発議しやすくして国民に思考させる意味は大きいと思うが、国民投票による承認部分がかなり危険だと思っている。この部分は国民投票法で規定されているが国民投票法では投票数の過半数で承認となっており最低投票率は設けないとなっていて投票率が20%であればその過半数10%超えれば改正されてしまうのだ。国民の10%の賛成で国民と国との約束である憲法が改正されてしまうのは絶対におかしい。
発議しやすくするなら承認は有権者数の過半数にするべきである。96条を改正するなら合わせて国民投票法も改正すべきだ。

追記 
2016/11/3の毎日新聞で「最低投票率議論へ」 という記事が掲載された。
国会の憲法審査会で、憲法改正案の賛否を問う国民投票に関して、「最低投票率制度」の導入が議題になる見通しになった。2007年5月の国民投票法成立時に、参院が同制度を検討する付帯決議を行ったが、その後、議論が進んでいなかった。国会は改憲項目の絞り込みと同時に、国民投票の仕組みを充実させる作業を求められる。 

このとき自民党は最低投票率の設定に
1. 改憲反対勢力によるボイコット運動を誘発する。
2. 最低投票率を設定するのは困難
などという分けのわからない理由で反対したらしい
2007/4の全国世論調査でも77%が最低投票率の設定が必要だとしている。
海外では韓国、ロシアなどは有権者の50%以上を最低投票率として設定しているとのこと。




2013年4月27日土曜日

究極のサマータイム(不定時法)



草木も眠る丑三つ時、お江戸日本橋七つ立ち、明け六つなどと言ったフレーズは聞いた事があると思うがこれらは江戸時代用いられていた不定時法のよる時の呼び方である。
不定時法は現代の様に一日を均等に24で割って1時間を決めたのではなく夜明けに星が見えなくなる時を明け六つ(日の出30分前頃)、夕方暗くなり星が見えてくる時(日の入30分後頃)を暮れ六つとして昼と夜を別々に6等分して時間(一刻)を決めた。春分と秋分頃では昼夜の時間が同じなので一刻は2時間となるがそれ以外では昼と夜では一刻の時間が違う。夏では昼の一刻は夜の一刻より長くなり冬ではその逆になる。呼び方は二種類あり、干支で呼ぶ方法と数字で呼ぶ方法だ。
干支は真夜中の12時を「子」、日の出直前を「卯」、南中時を「午」、日暮時を「酉 」としてその間二つの干支が入り一日十二支で表した。そしてそれぞれの干支を四等分して呼んだ。冒頭の丑三つ時は丑時(*1時〜3時)の間を四等分した三番目の時間なので深夜2時から2時30分の間頃となる。
それぞれの干支の真ん中時間には正という字を付けて読んだ。
例えば午(うま)の真ん中を正午(しょううま)とよび現代でも正午として使われている。午前、午後も午の前と後という意味だと思われる。
数字の呼び方は子を九つとしてそれから順に呼んだが九つの次は十ではなく八つとなる。何故九つから始まり次が八つになるのかというと
中国の陰陽説の影響で九が良い数字とされその次の数字は九の倍数の十八とされていた、さらにその次は三倍数の二十七、三十六、、、となる。そしてこの十の位を省略したために九つの次が八つ、その次が六つ、五つ、四つとなったのである。
子の次の丑は八つ、寅は七つというように割り振っていく昼の午にまた九つにもどる。この方法による九の倍数の呼び方では12までは表現出来ないためであろうか?
数字の呼び方は午前、午後で二度出てくるが実生活では支障はなかった
(今でも午前、午後で同じ数字で呼んでいる)
現代では午前5時といえば夏ではすでに明るいが冬では真っ暗である(月夜は別)
しかし午前の七つといったら夏でも冬でも真っ暗なのである。
七つ立ちとはまだ夜があけない暗闇に出発したという事で灯りが必須となる。
江戸の人々は明け六つから暮れ六つにかけて行動した。
要するに明るい時に活動し暗くなったらさっさと寝ていたのである。
菜種油の値段が米の三倍だった時代に油に灯りを付けて行動をするのは採算が合わない。
明るい時にだけ一生懸命活動する江戸時代は究極のサマータイムだとおもうのである。
不夜城であった吉原は別世界であり、庶民は「寝るほど楽はなかりけり浮世のバカが起きて働く」といってさっさと寝ていた。
(*春分、秋分の頃の場合、夏至の時期であれば2時前後になる)