「パラリンピックなんていらない」
こんなことを言えば、障害者スポーツを否定していると思われるかもしれない。しかし、私が考えているのは、その正反対である。
障害のある選手にも、もっと自然に、もっと当たり前に、オリンピックに参加してほしい。そのために、今のオリンピックとパラリンピックという二つの大会のあり方を、根本から考え直してみてはどうだろうか。
なぜ、二つの大会なのか
現在、オリンピックとパラリンピックは別々の大会として開催されている。
パラリンピックは、障害のある選手たちに競技の機会を提供し、世界最高峰の舞台を築いてきた。その歴史と功績には大きな意味がある。
しかし、そもそもスポーツの大会は、なぜ選手の障害の有無によって分けられなければならないのだろうか。
私たちは、競技の公平性を保つために、体重別、距離別、年齢別など、さまざまなカテゴリーを設けている。競技によっては、用具や競技方法も異なる。
それならば、障害の有無を大会の区分とするのではなく、競技そのもののルールや条件として考えることはできないだろうか。
選手を分けるのではなく、競技のルールを変える
私は以前競技をカテゴリーで分類して障害者も健常者も共に参加するユニバーサルオリンピックという提案をした。今回は競技のルール、ツールにより障害者、健常者のバリアを解消する提案である。
例えば、ブラインドサッカー。
視覚を遮り、音の出るボールを使うなど、競技の成立に必要な条件を定める。そのルールのもとであれば、視覚障害のある選手も、晴眼者も参加できる競技として設計できないだろうか。
もちろん、安全性や競技の公平性を考え、必要な参加条件や用具の規定は設ける。
車いすテニスも同様だ。車いすを使用する競技としてルールを定め、その条件を満たす選手なら、障害の有無を問わず参加できるようにする。
車いすラグビーも、車いすを使う競技として成立している。車いすスキーも、用具や競技方法を競技条件として定義できる。
大切なのは、障害のある選手を既存の競技に無理に押し込むことではない。
選手を障害の有無で分けるのではなく、競技の条件によって種目をつくる。
それが私の考える基本原則である。
障害の有無は、参加資格そのものではない
この考え方を進めれば、例えばブラインドサッカーの競技者に、必ずしも視覚障害がある必要はなくなる。
もちろん、すべての競技で障害の有無を問わず参加できることが、直ちに公平性を意味するわけではない。
競技によっては、身体的な条件や障害の程度などを考慮したクラス分けが必要になるだろう。しかし、それは大会を二つに分ける理由とは別の問題である。
目指すのは、障害のある選手を特別扱いすることでも、障害の存在を無視することでもない。
競技に必要な条件を明確にし、その条件に基づいて参加できる仕組みである。
現在も障害者が義足をブレードにして競技をしている。例えば健常者も装着できるブレードを開発することで障害者のスポーツではなくブレードを装着したブレード陸上というコンセプトにすればどうだろう。ブレードの技術開発と人間の技術、体力でより早く、より高く、より遠くへを競う。100m8秒台も夢ではない。
オリンピックを一つにする
私は、オリンピックとパラリンピックを統合し、一つのオリンピックにすることを提案したい。
そこには、従来のオリンピック競技も、パラリンピックで行われてきた競技もある。新しいルールやカテゴリーも生まれるだろう。
そして、同じ大会の中で、さまざまな選手が、それぞれの競技に挑む。
現在のパラリンピックは、オリンピックに比べて社会的な注目度が低く、開催されていることに気づかない人さえいる。
もちろん、統合しただけで注目度の差がなくなるとは限らない。しかし、一つの大会として開催することは、障害者スポーツを社会の中心的なスポーツイベントとして認識するきっかけになるのではないだろうか。
大会の運営も変える
二つの大会を単純に合体させれば、選手や関係者が増え、宿泊施設、交通機関、医療体制、競技会場などの負担が大きくなる。
そこで、大会を前半と後半に分ける。
前半に競技する選手は開会式に参加し、競技を終えたら順次帰国する。後半に競技する選手は、その後に到着し、閉会式に参加する。
後半の選手にも歓迎の機会を設ければ、全員が一つの大会の参加者であるという意識も共有できる。
競技日程を工夫することで、選手村や輸送などの需要を平準化できる可能性がある。
一つの大会にすることは、必ずしもすべての選手を同じ時期に集めることを意味しない。
「特別な大会」から「当たり前の大会」へ
障害のある選手が努力し、鍛錬し、世界の頂点を目指す。その姿は、障害があるから特別なのではない。
一人のアスリートとして、尊敬されるべきものだ。
だからこそ、私は「パラリンピックなんていらない」と言いたい。
なくしたいのは、障害のある選手の活躍の場ではない。障害の有無によって、大会そのものを二つに分けるという発想である。
もちろん、この構想を実現するには、競技団体、選手、障害者スポーツ関係者の意見を聞き、種目ごとの公平性や安全性を検証しなければならない。今ある競技の価値や選手の権利を損なわず、参加機会を広げる制度設計が必要だ。
それでも、問いかける価値はあると思う。
オリンピックは、なぜ一つではいけないのだろうか。
障害をルールに。オリンピックを一つに。
それは、誰かの居場所をなくすためではない。
誰もが、自分の挑戦する競技を見つけられる大会をつくるためである。

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