何百万円もしていた3Dプリンターが庶民も手が届く数十万円で購入する事ができるようになった。樹脂系の素材であればパーツを造形し組立る事で製品ができる。
これはちょっとした革命に近い出来事である。今までは大量に生産しなければ採算が合わず個人、SOHOレベルでは製品化出来なかったが、来れからはその気になれば個人ベンチャー企業でもメーカーになれるのだ。産業革命以前の家内工業が現代社会に生まれかわろうとしている
先日、3Dプリンターで拳銃を作ったというニュースが英国で報道された。この拳銃の3Dデータもダウンロード可能で3Dプリンターがあれば誰でも拳銃を制作する事が出来るらしい、しかもこの拳銃は恐ろしい事に金属探知機にも反応しない。3Dプリンターは諸刃の剣となるのであろうか?
2013年5月9日木曜日
2013年5月7日火曜日
国民は憲法を守る義務はない!(憲法とは?)
憲法は法律の上位に位置づけられている法律の王様のようなイメージがあったが最近そうではないことを知り自分の無知を嘆き、改めて考えさせられた。
現状の憲法は敗戦後アメリカに押し付けれられた憲法であると言われている
戦後マッカサーが日本政府に憲法案の作成を要求したが出てきたのが以前の憲法をベースとしてたためこれじゃダメだと思い自分で案をつくった。このマッカーサー個人案では日本は他国に武力で攻撃されても反撃してはいけない。(座して死を待つ)といった内容だったらしいがさすがにその部分はアメリカ側も削除して今の憲法の原案となったらしい。
憲法99条に
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」
と謳われている。ようするに政治に携わる人(公務員)は憲法を守りなさいということである。逆に言えば一般国民に憲法を守りなさいとはいってないのである。
では憲法ってなんだろうと考えるとこれは国に対して憲法というルールに基づいて統治しなさいという国民と国との約束なんだと思う。国は憲法に基づいて統治するために法律というルールをつくり国民にこれ守らせる義務を課した。国は憲法を守る義務を負い、国民は法律を守る義務を負うという事だと思っている。ようするに憲法と法律はまったく異なる性質のルールなのだ。
納税、勤労、子供への教育の義務を国民に課しているので憲法は国民も守る義務があるという人もいるがこれは国が統治するにあたりそれらの義務を不平等がないように課しなさいと解釈すればいいのではないだろうか。
最近96条を改正するという動きが活発である。
「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」
この条文の「総議員の三分の二以上」を半分以上の賛成に改正するというもので、要は発議しやすくしたいという事だ。私は発議が容易になるのは悪いことではないと思う。
むしろ発議しやすくして国民に思考させる意味は大きいと思うが、国民投票による承認部分がかなり危険だと思っている。この部分は国民投票法で規定されているが国民投票法では投票数の過半数で承認となっており最低投票率は設けないとなっていて投票率が20%であればその過半数10%超えれば改正されてしまうのだ。国民の10%の賛成で国民と国との約束である憲法が改正されてしまうのは絶対におかしい。
発議しやすくするなら承認は有権者数の過半数にするべきである。96条を改正するなら合わせて国民投票法も改正すべきだ。
追記
2016/11/3の毎日新聞で「最低投票率議論へ」 という記事が掲載された。
国会の憲法審査会で、憲法改正案の賛否を問う国民投票に関して、「最低投票率制度」の導入が議題になる見通しになった。2007年5月の国民投票法成立時に、参院が同制度を検討する付帯決議を行ったが、その後、議論が進んでいなかった。国会は改憲項目の絞り込みと同時に、国民投票の仕組みを充実させる作業を求められる。
このとき自民党は最低投票率の設定に
1. 改憲反対勢力によるボイコット運動を誘発する。
2. 最低投票率を設定するのは困難
などという分けのわからない理由で反対したらしい
2007/4の全国世論調査でも77%が最低投票率の設定が必要だとしている。
海外では韓国、ロシアなどは有権者の50%以上を最低投票率として設定しているとのこと。
2013年4月27日土曜日
究極のサマータイム(不定時法)
草木も眠る丑三つ時、お江戸日本橋七つ立ち、明け六つなどと言ったフレーズは聞いた事があると思うがこれらは江戸時代用いられていた不定時法のよる時の呼び方である。
不定時法は現代の様に一日を均等に24で割って1時間を決めたのではなく夜明けに星が見えなくなる時を明け六つ(日の出30分前頃)、夕方暗くなり星が見えてくる時(日の入30分後頃)を暮れ六つとして昼と夜を別々に6等分して時間(一刻)を決めた。春分と秋分頃では昼夜の時間が同じなので一刻は2時間となるがそれ以外では昼と夜では一刻の時間が違う。夏では昼の一刻は夜の一刻より長くなり冬ではその逆になる。呼び方は二種類あり、干支で呼ぶ方法と数字で呼ぶ方法だ。
干支は真夜中の12時を「子」、日の出直前を「卯」、南中時を「午」、日暮時を「酉 」としてその間二つの干支が入り一日十二支で表した。そしてそれぞれの干支を四等分して呼んだ。冒頭の丑三つ時は丑時(*1時〜3時)の間を四等分した三番目の時間なので深夜2時から2時30分の間頃となる。
それぞれの干支の真ん中時間には正という字を付けて読んだ。
例えば午(うま)の真ん中を正午(しょううま)とよび現代でも正午として使われている。午前、午後も午の前と後という意味だと思われる。
数字の呼び方は子を九つとしてそれから順に呼んだが九つの次は十ではなく八つとなる。何故九つから始まり次が八つになるのかというと
中国の陰陽説の影響で九が良い数字とされその次の数字は九の倍数の十八とされていた、さらにその次は三倍数の二十七、三十六、、、となる。そしてこの十の位を省略したために九つの次が八つ、その次が六つ、五つ、四つとなったのである。
子の次の丑は八つ、寅は七つというように割り振っていく昼の午にまた九つにもどる。この方法による九の倍数の呼び方では12までは表現出来ないためであろうか?
数字の呼び方は午前、午後で二度出てくるが実生活では支障はなかった
(今でも午前、午後で同じ数字で呼んでいる)
現代では午前5時といえば夏ではすでに明るいが冬では真っ暗である(月夜は別)
しかし午前の七つといったら夏でも冬でも真っ暗なのである。
七つ立ちとはまだ夜があけない暗闇に出発したという事で灯りが必須となる。
江戸の人々は明け六つから暮れ六つにかけて行動した。
要するに明るい時に活動し暗くなったらさっさと寝ていたのである。
菜種油の値段が米の三倍だった時代に油に灯りを付けて行動をするのは採算が合わない。
明るい時にだけ一生懸命活動する江戸時代は究極のサマータイムだとおもうのである。
不夜城であった吉原は別世界であり、庶民は「寝るほど楽はなかりけり浮世のバカが起きて働く」といってさっさと寝ていた。
(*春分、秋分の頃の場合、夏至の時期であれば2時前後になる)
2013年4月24日水曜日
平均は曲者
平均という言葉は日常的に普通に使用されているがかなりの曲者である。
例えば平均寿命を考えてみる。
江戸初期の平均寿命は30歳ぐらいだと推定されている。平均寿命が50歳を超えたのはなんと戦後(1947年)の事である
平均寿命というとほとんどの人がその前後で死亡したと考えてしまうが
江戸初期の人々が30歳前後で、終戦直後の人々が50歳前後で死んだわけではない。
幼児、若年層の死亡率が高いのでこんな数字になってしまう訳である
七五三は死亡率の高い年齢を無事に過ごせた事を祝ったのである
信濃国湯舟沢村(現長野県)の江戸時代の資料によると51歳の平均余命が、
1675~1740年間 男性19.8歳 女性17.4歳
1741~1796年間 男性18.1歳 女性19.5歳
となっている (現代の平均余命)
これによると平均寿命30歳と言われている江戸初期でも51歳になった人の寿命は
平均70歳前後ということになり80歳の人がいても不思議ではないことになる。
平均という言葉はその全体像を歪める曲者である。
2013年4月23日火曜日
砂上のアベノミクス
アベノミクスが持て囃されているがはっきりいって砂上の楼閣である
雰囲気だけで実態がない。民主党時代の鬱憤がたまった中で政党が変わったことへの希望的観測の幻想である
政策そのものも昭和の高度経済成長を目指すような前時代的なもので人口減少という転換期も迎えた社会へのあたらしいビジョンがまったくない
このままでは本当にマズイという危機感が募るばかりである
手巻時計
私の時計は手巻である。
それにはちょっとしたこだわりがある。それは電気をつかわないアイテムだからだ。
スマートフォン、ダブレット、パソコンなど身の回りのグッズは電気で動き、我々はその電気信号により一日中振り回されている。生活の中で最も基本的な時間の管理ぐらいは電気信号に頼らず毎朝ゼンマイを巻く作業を楽しみたい。
ちなみに私の時計は25年前のhamilton9415。結婚前に妻にプレゼントされたもので今でも3~4年に一度オーバーホールに出して使い続けている。そろそろ修理パーツが供給されないといった懸念もあるが、出来るだけ長く使いたい。
決して高い時計ではないが私にはプライスレスの時計です。
後日後記
2018年さすがに部品もなくなり修理も難しくなったので私の還暦の祝いで妻から新しい機械式時計をプレゼントしてもらった。
電気のいらない機械式だが自動巻時計。手巻も可能だが店の人からは日常的に手巻きをするのは時計に負担になるので良くないと言われました。
![]() | ||||||||||||||||
|
地球に感謝
「地球にやさしい」などというフレーズをよく見聞きするがなんか違和感を感じる
それはなにか人間の方が上から目線でかよわい地球を守るイメージがあるからだ。
地球はそんなに弱くない。二酸化炭素がもっと増えようとビクともしない。二酸化炭素が増えて地球が消滅してしまうようなことはないのである。46億年前に誕生し、太陽の寿命が尽きるあと50億年は活動しつづけるであろう。(将来、スターウォーズに出てきた惑星を破壊するような兵器ができれば別であるが・・)
たかが2、3百万年しか生きていない人類が50億年も生き続けるとは考えられない。
ようするに地球は神のように絶対的な存在なのだ。
その神のような存在に「やさしくしよう」なんていうのは身の程知らずである。
人間が環境破壊を続けて困るのは地球ではなく人間なのである。
「地球にやさしく」ではなく「地球を刺激しないように」そして地球に感謝しながら暮らす気持ちが重要である
登録:
投稿 (Atom)


