2015年8月9日日曜日

時差オリンピックのすすめ


2015年 7/27-8/8 日気温変化(平均値)
グラフは2015年 7/27-8/8 の一時間ごとの日気温変化の平均値である。
これによると気温28度以下(赤ライン)になる時間は午後11時から翌朝6時半までの7時間半
気温30度以下であれば午後6時半から翌8時半の14時間になる。
室内競技も含めオリンピックはこの時間帯に行えばよいと思う。

 なにも灼熱の日中に行う必要はない。

オリンピック期間は公共交通も24時間運行して 対応する。
自然光が必要な競技であれば朝4時半頃から可能である。
オリンピックのお祭り性という意味でも夜通し行うのは非日常的で楽しいのではないだろうか?
時差オリンピックはさらにメリットがある。欧米へのゴールデンタイム対応だ!
そもそもこの時期にオリンピックを行うのは欧米のスポーツスケージュールの対応が主な理由であるが日本時間の午後11時から午前6時半はニューヨークの午前10時~午後5時半、ロンドンなら午後3時から午後10時30分になる。

2015年8月5日水曜日

社会保険で振り回されたお話

私は一人会社を経営している。建設関係の設計の仕事であるが2002年に設立した
その時、某国民健康保険組合の方が事務所に訪れ社会保険、厚生年金に関する説明があり会社なので加入する事にした。
それ以前はサラリーマンだったのでこの分野についてはあまり知識もなかったが個人であれば、国民年金、国民健康保険のセット、法人であれば厚生年金、社会保険のセットで加入しなくてはならない程度は知っていた。
保険組合の健康保険は入院時の給付金や健康診断などもあり内容は充実していたが保険料は個人の国民健康保険に比較すると割高に感じた。今年から息子(大学生23歳)の保険料が月8000円程度値上がりすると知り他の保険を検討した。
[この組合保険は23歳以上でも女性なら保険料の値上げがない。参考のため理由を聞いたら女性は23歳以上でも働かず家にいる(花嫁修業?)のは一般的だからとの事。(なんと古典的な発想!)]
そんな時、法人でも国民健康保険に入っている人がいる事を知り保険料試算すると私の場合激減する事がわかったのだ。
そこで区役所に行き

「法人でも国民健康保険に加入できますか?」

 と窓口聞くと

 「入れます。そのような人もいます。」

 と言われた。それなら国民健康保険に移行しようと思い保険組合の方に脱会して国保に加入するつもりだと電話すると

「法律違反になります。」


と言われた。
そこで再度区役所に電話で尋ねるとまた

「加入することは可能です。」

と言われ頭が混乱してしまった。
法律違反でも役所が認める?
そこでまたも保険組合の窓口に行き脱会して国保に入るつもりだというと何事もなかったように手続きの方法を教えてくれたのだ。(個人事業主を勘違いしたのかも?)
なんだ国保に移れるだと思ったら直後保険組合の担当者から電話があり

「国保には移れません」

と言われた(窓口の人とは別の人)そして国保でなくて

「協会けんぽ」なら可能です

といわれた。私はそこで「協会けんぽ」というものを初めて知った訳である。
法人は何らかの保険組合に入るものだと思っていたがそもそも保険組合は大、中企業を中心とした組合であり「協会けんぽ」とは自前で健保組合を持てない中小企業の従業員やその家族を対象とした保険で加入する事業所の約8割が従業員10人未満の中小・零細企業とのことであった。私のような個人会社は初めから「協会けんぽ」にするべきであったのだ。
おかげで保険料は国保なみに激減した。
会社の規模のわりにはリッチな社会保険に加入していたわけで設立時の

知識不足を悔やむ。


加入者数(2013)                     ○法人可 ●法人不可

○全国健康保険協会「協会けんぽ」3,500万人
○健康保険組合(1443組合) 3,000万人
○国民健康保険組合(165組合)( 300万人)
●国民健康保険3,400万人
                          
保険組合が私のような一人会社も組合に加入させたのは営業であるから仕方がないが区役所が「法人でも国保に入れますよ」といったのは今だに不可解である。
しかし法人でも国民健康保険、国民年金に加入している人がいるのは事実のようだ。
法律違反になるが罰則があっても適用された例はなく、社会保険、厚生年金の場合、会社は社員が支払うべき保険料と同額の保険料を支払うことになるのでそれを避けるためらしい。







2015年8月4日火曜日

がんばれ参議院!


安全保障関連法案が参議院で審議されている。
与党は
  1. 周辺環境が変化しているので安全保障関連法も時代に対応できるものにする必要がある。
  2. そのために集団的自衛権が必要だ。
  3. 集団的自衛権は憲法違反ではないと仲間内で決めたので問題ない

といいたいらしい。私は
  1. に関しては同感。
  2. に関しては個別的自衛権、警察権の拡大で対応できる
  3. は論外
という立場である
集団的自衛権は国連加盟国に認められているが日本では憲法により
保持はできるが行使できない。というのが今までの見解だ。
しかし今回、集団的自衛権は合憲で50年以上前の米軍の駐留の合憲性について審議した最高裁判決(砂川事件)が根拠だといっている。しかし砂川事件の判決では自衛権について認めているが歴代の政府解釈は判決における自衛権とは日本の個別的自衛権とアメリカの集団的自衛権について述べたものとされていた。しかし今回政府はこの自衛権には集団的自衛権も含まれると主張しだし憲法違反ではないとしたのだ。
この判例を読んでみても憲法で集団的自衛権が認められているなどとはどこにも書いてない
おもいしろいのは安全保障にかかわるような案件が違憲かどうかは最高裁で判断するのではなく

「主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきもの」 

(判例文p4)といっている点である。→最高裁判例全文(全52ページ、6ページ以降は各裁判官の個別意見)
政府は違法判断が多い憲法学者の意見より最高裁の判決が優先されるといっているが、その最高裁の判決の中で「国民の批判にゆだねる」といっているのである。 

集団的自衛権とは親密な他国が某国に攻撃された場合、自国が攻撃されてなくても、某国を攻撃できるというものである。
たとえばアメリカがロシアに攻撃されたら日本はロシアを攻撃してもよいという事になる
これは

自衛隊がアメリカの下請軍隊になる。


危険があるという事である
三要件があるからそのような事は絶対にないというだろうが、政府が国会で呪文のように唱えている三要件はあいまいで意味がない
なぜ、そこまで集団的自衛権にこだわるのか?今日の周辺事態への危惧は個別的自衛権、警察権の拡大で対応可能なのだ。
国連加盟国に認められている集団的自衛権を行使できる「普通の国」になり国際的な立場を強固にしたい という事なのであろうか?
どうしても集団的自衛権にこだわるなら憲法改正しかないのである。

国民の関心も高く国会前は連日のように抗議の声が叫ばれている。参議院が否決しても衆議院で2/3の賛成があれば可決される。今の与党は2/3以上なのでこのままであれば可決ということになるが私は最後に期待していることがある

公明党議員の正義だ。


世論の反対ムードがエスカレートすれば支持母体に反対意見が多い微妙な立場の公明党議員にかなりの圧力がかかる事が考えられる。公明党の衆議院議員35名の内10人が反対すれば賛成票が2/3以下となり否決できる。
そのためにはまず参議院でこの法案の問題点を国民に明示して違憲であるということを最大限にアピールしてほしい。さらに終戦の日の天皇陛下のお言葉が大きな力となるかもしれない。60日以内に採決に持ち込まなければ否決とみなされる。

参議院での否決、天皇のお言葉などが国民を動かし大きなうねりとなる。その中で衆議院での採決であれば奇跡が起きるかもしれない。

[8/15追記]
今日、全国戦没者追悼式において天皇陛下のお言葉があった
1995年以来20年間ほぼ同じであったが今年は変わった。一部抜粋すると

今年
70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け、払われた国民からの弛みない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。
戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき
感慨は今なお尽きることがありません。

去年
69年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時を忍ぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

  • 国民→平和の存続を切望する国民
  • 苦難に満ちた往時→長い期間における国民の尊い歩み
という2つの変化に注目したい 。
「平和を切望する国民の70年間の努力が尊い」と述べらているのだ。

「国民が尊守してきた平和憲法を政府は守りなさい」

と私には聞こえる。


「どこでも事務所」



ドラフター
1985年(バック・トゥ・ザ・フューチャー公開時)頃の設計の仕事ではコンピュータはなく、電卓とワープロだけであった。そのためドラフターと呼ばれる製図台が必須であった。製図台には平行線と直角を書くための装置がセットされていた。図面はトレッシングペーパー(半透明の紙)に鉛 筆で作図する。その時テンプレートという文字を書くプレートがあった数字と英語の溝の切れ込みがある薄い板でその溝にそって文字を書くのである。ひらが な、漢字はないので手書きになる。
書きあがった図面は原図とよばれ原図のコピーが必要な場合は第二原図といって図面業者の方に依頼する。図面業者はこのほか図面製本なども行った(余った用紙でメモ帳などもサービスで作ってくれた。)
原図から紙にコピーするときは感光紙と原図を合わせて青焼き機というものに挿入する。A0ぐらいまでは印刷可能だが一枚づつ手差しで行う必要がある。この 作業は「焼く」と呼ばれたが「この原図をB1で焼いてきて!」と新人に頼んだら地下1階で原図を燃やした。というジョークがまことしやかに語られた。青焼 きは青系のモノトーン印刷なので色を付ける時はマーカーまたは色鉛筆で塗り絵のようにな作業を行う。むらなく色を塗るには技術が必要であった。またマー カーなどはすぐに乾いて使えなくなってしまう事がよくあった。
マーカー
青焼き機
青焼図面

メーカーの製品情報などはカタログを本棚に詰め込んだ。カタログを更新する作業が滞りがちで10年以上前に倒産したメーカーのカタログがスペースを占領し ていることもよくある。参考図書や参考写真の保管も膨大なスペースが必要であった。しかも保管した写真が活用される確率は限りなく低かった。
撮りためた写真

プラニメーター

専門書、カタログ棚
積算作業では図面から定規(三角スケール:通称サンスケ)で数量を拾う。面積は三斜といって図りたい面積を三角形に分けて算出したりした。のちにプラニメーターと呼ばれる装置が導入された。これは面積を図りたいラインにそって動かすと面積が自動的に算出されるという優れものだった。
計算は電卓のみなのでシュミレーション的な事は不可能であった。たとえば工事費の積算はまず基準単価(作業員の日当や材料単価)を設定してからそれをベースに各工種の金額を算出して最終的に全体工事費だすのであるが基準単価を変更することはやり直しを意味する。
契約書や仕様書などはワープロを利用したがこの頃はまだワープロが使われだした頃でまだ写植でも原稿を作成していた 。
通信手段は固定電話とFAXだけだった。書類を送るときは郵送である。図面は筒状の図面ケースに入れて持ち運んだ。
この時代は設計業務を行うには 製図台、青焼き機、製図道具、文具(マーカー他)、製本図面置場、カタログ、図書、写真用棚、電話、FAX、コピー機、打合、接客スペースなどそれなりの空間と道具、機械および専門業者が必須だったのである。

しかし現在ではこれらすべて、いやそれ以上のことがパソコンとスマホにネット環境があれば可能となった。
ドラフター、色塗りはパソコンのCAD、ペイントソフト、3Dソフトで描けるし、PDFデータとして出力すればプリントアウトの必要はない。図面を届ける時もメールにPDF添付でOK。
プレゼンはパワポ+プロジェクターが一般的になったので大きな図面をプリントして持ち運ぶ必要もない。
カタログはネットで最新版が閲覧、ダウンロードできる。書籍や写真もデジタル化してクラウドに保存。参考写真なども自分で撮りためる必要もなくネットで検 索すればイメージ写真などは選び放題である。連絡はメールがメインだが電話は無視できないのでスマホ(携帯)は必要である。スマホは電話以外にもカメラや 録音、録画などのツールとして有効であり、アプリなどにも優れものある。
(花の写真を撮ると植物名をリストアップしるアプリがあり重宝している)
FAXもたまに必要になるがFAX受信、送信もパソコンで可能である。
(私はDFAXで受信し、MYFAXで送信している)
計算(積算)、文書作成などはパソコンが最も得意とする分野である。

これだけでOK

 
 WIFIルーター
パソコン

スマホ(携帯)


これで図書館でも、カフェでも、コンビニでも、公園のベンチ、車の中でも仕事ができる。
遠方の人ともネットで打合せも可能である。
このようにインターネットを駆使して場所にとらわれないで仕事をする人をノマドワーカー(ノマドは遊牧民の意味)という。

事務所を片手で持ち運んでいるような感覚、

「どこでも事務所」

といってもいいかもしれない。
すごい時代になったものだ。

2015年7月17日金曜日

ターニングポイント2020

2020年のオリンピックを1964年のオリンピックのような経済成長の起爆剤とし
もう一度経済大国日本を復活させよう!といった期待を持っている人が少なからずいるようである
それは下記のオリンピック招致委員会が2012年 に発表した公式メッセージでも推測できる

-----------------------------------------
オリンピック・パラリンピックは夢をくれる。
そして力をくれる。
経済に力をくれる。
仕事をつくる。
それが未来をつくる。
そして世界の意識をニッポンにつれてきてくれる。
今、それがニッポンには必要だ。
2020年までにあらゆるジャンルのニッポンを復活させるために。
(中略)
このままだとこの国は世界から忘れられてしまうかもしれない。
今何かをしなければ、
この国の未来や子供たちの自信を奪うことになるかもしれない。
誇るべきことを誇るために、
勝つべきものを勝ちとろう。
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かなり時代をはき違えているのではないだろうか
確かに1964年のオリンピックは経済成長国日本を世界にアピールするオリンピックであったが
2020年のオリンピックはそうではない!

日本が成熟社会という新たな時代へシフトするターニングポイント

であることを世界にアピールすべきオリンピックなのである
IOCも経済的負担の少ないオリンピックを推奨している。
それにもかかわらず2520億円という途方もない金額のメインスタジアムを建設しようとしている
組織委員会会長も「りっぱなスタジアムを造らないと世界に笑われる、メンツがたたない」などどいった時代錯誤の発言を聞いていると本当に情けなくなる。
ピカピカヌメヌメの巨大建造物はやめて日本建築のルーツである木材で作っても面白いと思うのだが...(http://natulogy.com/topics/7161/  )

http://natulogy.com/topics/7161/


と思っていたら先ほどメインスタジアム計画白紙撤回という速報があった。
とりあえずホッとしている。

2015/12/22 追記
白紙撤回後、再度コンペが行われ隈研吾氏のデザインが選定された。
「木と緑のスタジアム」がコンセプトで多くの木材が活用された設計で成熟社会にふさわしいデザインだと思う。
木と緑のスタジアム(隈研吾)
 伊藤豊雄氏もコンペに参加していてこちらも神社の御柱がスタジアムを取り囲むようなデザインでふんだんに木材を活用していてよかった。
伊藤氏は前回のコンペにも参加し、その後既存競技場のリノベーション案なども提案し積極的に関わっていただけにちょっと残念でもある。

[追記20181227]
以下に大変興味深い記事があった。
 
抜粋
これからの東京は、小さく幸せにしぼむべき
日本は世界に先駆けて少子高齢社会を突き進んでいますよね。少子高齢社会における幸せのモデルを世界に見せることができれば、1964年のイケイケだった頃の日本とはまったく違う、新しい分野のリーダーとして生まれ変わった姿を感じてもらえるんじゃないかと。日本の伝統的な社会の在り方を見ると、限られた国土や資源の中で小さな幸せを求めていくことで日本文化は洗練されてきたわけです。だからむしろ日本にはそうした社会の姿の方が向いているんじゃないかなと僕は思うんですよね。





2014年9月25日木曜日

怒れる二人の老婦人

定常状態システム (steady state economy)
先日、NHKのBSドキュメンタリーで興味深い番組をみた
Two Raging Grannies (ノルウェー2013 Faction Film)という番組で、直訳すれば「怒れる二人の老婦人」といったところだが邦訳は何故か「はつらつおばあちゃんが行く」であった。
題名は別として内容はシアトルに住む二人の老婦人が「経済成長」とは何だろうといった疑問ではじまり、エコロジー経済の専門家などからヒヤリングをする。今の社会は倒れないように一生懸命経済というペダルを漕ぎつづける自転車のようなもので問題はその先に深い崖がある事にみんなが気づいていない事だと教えられこのまま経済成長にこだわっては社会は崩壊すると確信する。そして経済成長の権化であるウォール街に二人で乗り込みパーティで無理やり脱経済成長のスピーチを強硬するが追い出される。それでもめげずに大学の広場で脱経済成長のスピーチをするが周りの学生にはほとんど無視されてしまう。それでも二人は経済成長が問題であると叫び続ける。

二人に多くの時間は残されてないが孫の時代のために種をまかなくてはならない。
といったストーリーであった。

この番組の中でエコロジー経済学者( ジョシュア・ファーレイ)が「定常状態システム」といった言葉を説明していた。経済成長をしなくても定常状態を維持すれば社会は進歩する。定常状態とは簡潔に言えば天然資源を採取し経済活動に用いたあと廃棄物として自然に返すという営みのスピードを定常化するということであった。
そのためのルールは下記の3つだと言っていた。
  1. 再生可能な資源は再生するより早く使ってはならない。
  2. 廃棄物は環境が吸収するより早く投棄してはならない。
  3. 再生可能な品物を開発するスピードより早いペースで再生不能な品物を使ってはならない。
経済活動は地球環境を維持できるレベルに抑えなくてはならないがそれでもなお人類は進歩できるはずで、価値観を成長の割合から進歩の質へとシフトさせる必要があるといっていた。
これはまさしく私がこのブログで述べている成熟社会のイメージである。
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番組の中でロバート.ケネディのGDPについてのスピーチ(youtube)が紹介されていたがこのスピーチもとても興味深いものであった。


ジョシュア・ファーレイ
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  「定常経済」について考える steady state economy (旭硝子財団HP)

私たちが求めているもの、そして国が提供すべきものは、持続可能で幸せな社会です。経済成長は、貧しい時代に幸せを得るための「手段」ではありましたが、それ自体が「目的」ではありません。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4002709140?adid=16WP2NK25NHRMPHPRVP8&camp=243&creative=1615&creativeASIN=4002709140&linkCode=as1&tag=junkoedahiro-22

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「後日追記」
先日、プラネタリーバウンダリーという講演を聞く機会があった。
Dr. Johan Rockström(ヨハン・ロックストローム博士:スウェーデン)が提示したもので
人類が地球システムで生存できる範囲の限界=プラネタリーバウンダリー(Planetary Boundaries)がどこにあるかを把握することが重要であり、それによって壊滅的な変化を回避し限界内の成長(プラネタリーバウンダリー内での繁栄)ができるとし、人々と地球の新しい方向性(持続可能な開発目標)を示すという内容であった。

これも前述の「定常状態を維持すれば社会は進歩する」という考え方に近いものだと感じた。

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平川克美氏:経済成長だけでは幸せにはなれない



「物」を中心とする規模の拡大から、倫理や心を重んじる新しい経済システムへ移行する
­ための処方箋を、ゲストの平川克美氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の­宮台真司が議論した。

2016/01/09 に公開
http://www.videonews.com/
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平田オリザ×津田大介「下り坂をそろそろと下る《普遍的な技術に依存しない発想》」2016.05.16


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先日(2016・3・15)NHKクローズアップ現代で“仕事がない世界”がやってくる!? という特集があった。
広井良典(千葉大学法政経学部教授)が出演し、今までの成長社会を前提とせず世界で初めて迎える人口減少社会に我々はどのように対応すべきかが重要であるといった内容であった。
広井氏には「ポスト資本主義」、定常型社会―新しい「豊かさ」の構想 などの書籍がある。
またwebで公開されている「拡大・成長」から「定常」の時代へ!なども大変興味深い内容であった。

[以下一部要約]
人類の歴史は、人口と経済が成長する「拡大・成長期」と、持続可能で文化的な発展が見られる「定常期」を交互に繰り返してきた。
 1度目の「拡大・成長期」は 誕生したばかりの人類が、狩猟・採集によって個体数を増やしてきた時期。
約5万年前、獲物や収穫物をとり過ぎた結果、食料問題・環境問題に直面し「定常期」に入る。
この時代に生まれたのが、ラスコーの壁画に象徴される文化の萌芽である。

 2度目の「拡大・成長期」は、約1万年前の農耕とともに始まり人口が爆発的に増へ、余剰生産物によって社会が階層化し、権力・国家の原型が生まれた。
紀元前5世紀ごろ過剰な食料生産は土地から生産力を奪い土地が痩せ、また食糧問題・環境問題に直面し、2度目の「定常期」に移行する。
精神革命が起こり、インドでは仏教が、中国では儒教や老荘思想が、ヨーロッパではギリシャ哲学が、中東では後のキリスト教につながるユダヤ教が生まれた。

3度目の「拡大・成長期」が、ここ300年から400年続く経済活動の拡大。その象徴が18世紀後半から進展した産業革命である。
この3度目の「拡大・成長期」が行き詰まり始めたのが、20世紀後半。人類は今、3度目の「定常期」の入り口に立っている。



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 動け、稼げ、ノルマを連成せよ、笑顔で顧客をゲットせよ、そして経済成長を止めるな。

これが現代経済の鉄則である。それから逃れることと、それに順応することと、どちらが狂っているのか。経済成長が下降に向かう今、別に私たちは経済成長を愛しているのではなく、そのためにー回限りの人生を捧げる必要もないことに気づき始めている。

気づく時間と気づく場所が生まれること。市井の人びとの川が流速を上げる屋史的条件は、そんな環境が整ったときである。

[シリーズ疫病と人間] 歴史学者 藤原辰史 毎日新聞20200829 より


2014年4月21日月曜日

経済成長社会への禁じ手


多民族国家
成熟社会を迎えるのは必須であるがどうしても経済成長にこだわるのであれば多民族国家になり人口を増やしていく必要がある。
大量の移民の受入である。人口ピーク時の1億2千万人にするには移民の割合が1/3ぐらい必要となる。(国立社会保障・人口問題研究所によると2060年には 人口は3分の2程度になると予測されている)
日本人が移民受入によって絶滅してしまうとは思わないが問題は日本の生活文化が失われてしまう危惧が大きい事だと思っている。
移民受入は多様性が増えるように見えるが文化の多様性からみると非常に危険である。
希望的な見方をすれば文化も多様化しそれぞれがより個性を発揮し進化するといった考え方もあるかもしれないが生態系の世界でおきている外来種による自生種の滅亡を考えればその見方はあまりにも楽観的である。
日本文化は世界的にみても他の国の植民地にならずに独自の島国文化を築き上げてきたという点で貴重である。
私は国粋主義者ではないしグローバル化は需要であるが経済成長のための労働力確保という目的のみで大量の移民を受け入れるのは必ず大きな問題を起こすと思っている。

後日追記
誤解がないように言いたいが、これは難民の受け入れを拒否すると言う話では全くない。難民と移民は別次元の話で、難民に対して日本はもっと積極的な対応してもらいたい。

追記資料
日経新聞(2014/5/27)で高度人材200万人増を(加藤久和 明治大学教授)といった記事で移民受け入れについて書かれていた。
経済成長のために高度な人材の移民は必要であるが人口維持のための受け入れは不可能であるといった趣旨であった(以下一部抜粋)

外国人労働者の受け入れを巡る議論で重要なのは、第1に、建設業などの人手不足に起因する短期的な受け入れと、人口減少に伴う長期的な移民の受け入れは、別次元であるということである。
---略-----
高度人材の受け入れを前向きにとらえたとしても、急速に人口が減る日本で、減少分をそのまま海外からの移民で補うことは、ほぼ不可能だということである。減少分を埋めるには1000万人単位の受け入れを考える必要があるが、社会的コストがあまりに大きくなる。 

毎日新聞2025/12/24
2028年まで受入上限数123万人に制限との記事
外国人労働者受け入れを制限したいと言う世論への対応と思われる